懐中時計から腕時計へ リストレット小史

 腕時計は19世紀末に懐中時計の機能拡張として開発されました。多くのモデルは婦人用でしたが、第一次世界大戦中に一般的な機能として普及し始めました。この大戦中におけるリストレットの普及は時計史の大きな転換点でした。

 腕時計の誕生についてはいろいろな逸話があります。1810年にブレゲ(Brequet)がナポリの女王に金属チェーンの小型の腕時計を納めたのが最初の記録です。19世紀中には、ポケットではなく、杖、指輪、ブレスレットに付けて懐中時計を着用していた逸話が残っています。

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 懐中時計から腕時計への変遷なのですが、意外とちゃんとした歴史は知られておりません。過渡期の腕時計はブレスレットからの類推でリストレットと呼ばれていたようですが、誰がいつ作ったのか、諸説があるようです。Michael Friedberg氏が良くまとまった記事を書かれてましたので、許可を得て日本語に翻訳致しました。御覧ください。

 時計メーカーが軍用に広告を出しましたが、1900年代初頭では腕時計は少ししか受け入れられず、しばしば女性用の時計だと誤解されていました。1906年のオメガのカタログを見ると48ページの内の僅か1ページに左の3個の腕時計が載っているだけでした。全て女性用の小型懐中時計の機械を用いてました。興味深いことに当時のリューズは全て9時の方向に付いてます。(リューズを保護するためと思われます)

 この同時代にパリの宝石商カルチエ(Louis Cartier)は腕時計を機能的な宝飾品と考え、
デザインの革新をもたらしました。 1904年にカルチエは友人であるブラジルの冒険航空パイロット、アルベルトサントス(Alberto-Santos Dumond)のために腕時計サントスを開発しました。この宝飾というよりは機能のためにデザインされた角型でエレガントな紳士用時計は、当時大変な驚愕を持って迎えられました。懐中時計とはかけ離れた角型デザインに加えて、ブレスレットと時計とのスタイリッシュな調和を成し遂げたのです。

 Wilsdorf & Davis(ロンドン)が1905年に腕時計を開発したように、この時代多数の時計商社も腕時計を開発しました。後に
ローレックスの名を冠することになるHans Wilsdorfは次のように語っています。
 「最初は革バンドの紳士用、婦人用の銀の腕時計を少量生産したんだが、大成功でね。大量生産が必要になって、それから金のモデルも作ったよ。1906年に発明した金属製のメタルバンドを製品化すると、英国市場で大ヒットしたんだ。」
 右図はRolexの1915年製ガンメタルケ-ス腕時計で軍用マーケットを狙ったモデルで、最も初期のブラックダイヤル腕時計の作例です。

 1880年にはジラード ぺルゴー(Girard-Perregaux)がドイツ帝国海軍に腕時計を納入しています。1人の砲兵将校が砲撃の時間を計るのに両手を使うのを不便に思ったことがきっかけでした。将校は懐中時計を腕に付けて、解決策を上官に報告したのです。上官達はこのアイデアが気に入りましたので、ショードフォン(La Chaux-de-Fonds)の時計メーカーをベルリンに呼び寄せて、ブレスレットに付ける小型時計の生産を打診されたのでした。左の図は初期のジラード ぺルゴーの腕時計です。

 1902年にオメガは腕時計の広告を出しました。英国砲兵将校が時計を身に付けて「欠く事の出来ない軍用装備である」と述べている内容でした。1904年にはドイツの新聞に同種の広告を出し、1899-1902年のボーア戦争中にリストレットを使用した英国陸軍中佐の証言を載せてます。中佐は、何十ものオメガを購入し、「騎兵隊での何ヶ月もの実使用は過酷なテストであった。特に酷暑、雨、霧、砂嵐の過酷な気候を思えば....」と述べています。

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