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2)江戸時代の時刻、不定時法
 
 江戸時代の日本では、現代の定時法と異なる不定時法が使われていました。
 定時法とは1日を24時間に等分割し、時間の長さは季節に依らず一定な現代の時間法です。一方、不定時法とは、夜明けから日暮れまでの時間を6等分する時間法で、 江戸時代 以前に使われてきた時間概念です(注1)。
 日出と共に起き日没と共に寝る昔の生活に根ざした時法ですが、季節により昼夜の長さが変わるので時間の長さが変わってしまいます。不便なようですが時計のない人にとっては太陽の高さで大体の時刻がわかるので却って便利です。

 例えば、東京での夏至の6月21日と 冬至の12月22日の時刻は右図のようになります。
夏至では昼が長くなって15時間51分になりますが、不定時法では昼を6個に等分割して、各々の刻の長さを2時間38分としています。
 一方、夜の刻の長さは1時間21分です。
これが冬至になりますと昼は1時間50分、夜は2時間10分と大きく変わります。

各時間は
 卯の刻六つ(明け六つ)日出,日の始点(注2)
 辰の刻五つ
 巳の刻四つ(お四つ)10時のお茶の時間
 午の刻九つ(正午、太陽が南中する)
 羊の刻ハつ(お八つ)3時のお茶の時間
 申の刻七つ
 酉の刻六つ(暮六つ)日没
 戌の刻五つ
 亥の刻四つ
 子の刻九つ(正子)
 丑の刻八つ(うしみつどき) 怪談の時刻
 寅の刻七つ
と呼ばれ、中国から渡来した十二支と、延喜式の九八七六四の両表示があり、漢数字の数だけ鐘が鳴らされました。

 数字が九から六まで減って行く延喜式の漢数字は10世紀頃にはじまったようです。18世紀の倭漢三才図絵によれば、子の刻は9X1=9、

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夏至の時刻(東京)

参考文献: 1) 上口 等 No.3大名時計博物館報
        2) 角山 榮  「時間革命」 新書館
        3) 久松 潜一、佐藤 謙三偏 古語辞典 角川書店
        4) 広瀬 秀雄 「暦」 東京堂出版
        5) Webマガジン「マカロニ・アンモナイト」

冬至の時刻(東京)

丑の刻は9X2=18=8、 卯の刻は9X3=27=7と9の倍数の1桁の数字としていますが理由も根拠も書かれていません(文献1)。今となっては不思議な数字ですが、中国の陰陽説によると奇数が”陽”、偶数が”陰”として最も大きな奇数”9”をもっともパワーがある数字としていたのが9の倍数を使った理由だそうです。また、1の桁しか表示しないのは鐘を打つのに余りに回数が多くなるので短縮したのだそうです(けいさんの情報[5])。
(詳細知っている方、御教示ください) 

 不定時法の言葉は今ではほとんど使われなくなってしまいましたが、正午、3時のおやつ
草木も眠るうしみつどきといった言葉が残っています。因みにうしみつどきは「丑三つ」、すなわち丑の刻を4分割した3番目の時刻(午前2時半とか3時半)より来た言葉で、後世、丑満つと書いて真夜中を差します(文献3)。

 不定時法は明治6年の太陰暦から太陽暦への改暦まで使われ、その後現代の定時法になりました(注3)。昔の人は、日の出と共に起き、日の入りと共に寝る生活でしたが、 明治時代から 照明が発達して夜型の生活が一般的になり始めましたので ちょうど時代の変革に合った時法改革でありました。 
 しかしながら、現代の生活では照明に膨大なエネルギーが必要で、江戸時代の生活はエネルギー消費の少ない、エコロジーな生活であったと言えます。
皆さんも一度江戸時代の時間を体験されては如何でしょうか?

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正午が12時より早いのは、日本標準時が明石
の東経135度を基準としているため。 東の東京
では太陽の南中時間がずれる。

注1) 昼夜の境界の定義:   掌が識別できる程度の薄明かりがある時点を昼夜の境として
                   いましたので、現代の太陽が地平線に出る時刻より36分前後を
                   夜明け、日暮れと定義していました(1684年の貞享暦〜)。
                    その後の寛政暦(1797年〜)では、季節により薄明かりの時間が
                   変わる事を考慮して、太陽が地平線より7度21分40秒下にある時
                   と改めれられました(文献4)。

                   これらの時間帯は、現代人から見ると相当暗く感じられるます。
                   一度確かめられては如何でしょうか。

注2) 一日の境界の定義:  一日のはじまりは昔は、夜明けからとされていました。
                   1740年の暦のことわり書きに天文方 渋川 則休、猪飼 豊次郎の
                   連名で 世の中は夜明けを一日の始点としているが、夜中の子の刻
                   が正しいので、知らしめるべしとの記述があります。
                    天文関係者は夜中が始点と認識していたようですが、一般には
                   夜明けと思われていたことがわかります(文献4)。

3) 江戸時代以前の定時法:  江戸時代以前は不定時法が一般に使われていましたが
                     暦、天文に従事する専門家の間では定時法も使われていました
                     暦に注を記した具注暦に定時法の記述が残っているそうです。
                     (文献4)

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